第1回ダンヒルカップ2002出場
文 高橋達也
7月20日(土曜日)海の日。ちょうど梅雨明けが発表された日の、抜けるような青空。文字通りの灼けるような日射し。南西の風、風速8メートル毎秒、ブローで10メートル毎秒。24フィートのルミナスにはちょっときつい風。セーリング2回目の新米ブラインドセーラー大胡田(おおごた)さんを乗せ、世界選手権出場経験を持つベテランブラインドセーラーの川添由紀さんの操るJ-24が、波を切り裂きながら相模湾の南東の端の海上をひた走る。
この日僕は沼津市在住の大胡田誠さんと相模湾で行なわれるヨットレースに出場した。出艇数115。クラス別に分かれてはいるものの、30フィートを超すセーリングクルーザーがこれだけ一同に会すると壮観である。中でも僕達の乗った「ルミナス」ともう一艇の仲間のヨット「ちこ2」は他のヨットとちょっと違った意味を持っていた。クルーに視覚障害者が乗り込んでいるのだ。今回は一般のレースだが、それぞれのヨットに2名ずつブラインドセーラーが乗り込んでいる。かといって、レース自体にブラインドルールが適用されているわけでは無い。他の113艇はこちらがブラインドチームなどとは知らずに勝負を仕掛けてくるのだ。
ゆっくりセーリングを楽しめる軽めの風ならいざしらず、この日は波、風ともにハードなコンディション。しかもセールやヒールのコントロールにはどうしても制限がつく。理想的な走りがいつもできるわけではない。ブラインドセーラーに口頭で周囲の状況を伝達しつつ他の艇との位置関係、コース海面の風の状況、そして回航するマークとの位置関係をいつも把握し、判断していかなければならない。そしてもちろんのことだけれど、ヨットの走りはブラインドとサイテッドの息がぴったり合わなければ良いものにはならない。
レースコースは油壺沖から昔懐かしい長者が崎沖の折り返しコース。行きはランニングで帰りがクローズドホールドだ。スタート直後ポートタックでスピンセイルをあげる。周りはどう考えてもJ-24よりレーティングの優位そうな大型艇ばかりだった。内心、まじかよ?と思った。途中、亀城(かめき)の沖までかなりきついアビームで何度もブローチングを起こしそうになる。僕は学生時代スナイプ乗りだったのでどうもスピンセイルというやつと性が合わない。あのふらふらした感じが落ち着かないのだ。やっぱウィスカーの方がいいな?なんて考えながら、しかしここはがんばってスピントリムに励むことにする。何度かブローチングの危険を感じてスキッパーを川添さんから、秋山さんに交代。亀城の沖を過ぎたあたりから真ランとなって船はだいぶ落ち着いた走りを取り戻す。いよいよごぼう抜きか!?
第1マークの回航を難無くこなし、いよいよクローズの走り。しかし、のぼり角度に比べてどうも艇速がでない。あとでわかったことだったが、もっとバングをきかせてセールを薄くして走らせるべきだったとか。何だ、学生時代にやっていたことジャンかとあとになって臍を噛む思い。あの風でのJ-24の走らせ方は私も初体験で良くわからないのだが日高さんがおっしゃっていたことをしっかり記録しておきたいところだ。とりあえず、クローズが安定したところで川添さんにまたスキッパーを交代。僕はどうしてもヒールが気になってハイクアウトに精をだす。今になって考えると、もっと積極的にメインセールトリムをするべきだったなと思う。でもヒールも確かにきつかったッス。
結局、ルミナスはシーボニアレーティングクラスで60艇中33位。チヒロという同じJ-24には勝てて良かったのだけれど、東大のギョウシュウには完敗。学生時代のことを思い出してちょっと悔しい思いもした。あと秋山さんがかなりチェックを入れていたコースオブネーチャー(どうしても僕にはコウソクネイチャンと聞こえてしょうがなかったのだが…)は、18位ということでした。第1マークまですぐ近くにいたのにね。残念!また、レース中、スプレーを顔いっぱいに受けて、前を気持ちよさそうに見ていた大胡田さんの顔は忘れられない…
10年以上前になってしまった学生時代の記憶によれば、三浦半島の南西の風(コンパス角度210度前後)の場合、左の岸ぞいに出るブローか、右の沖から周期的に降りてくるブローのどちらかをうまくつかまえていけばかなりいけるという記憶がある。今回はそこまで気がまわらなかったけど(というより身体が動かなかった?)もし次に機会があれば是非昔の勘ピュータ(ちと古いか)を働かせて上位入賞に貢献したいな?と思いました。ルミナスの名前の通り光り輝く成績がとりたいですね。
秋山淳
ルミナス組は、ヘルム:川添、ジブ&バウ:安西、メイン:高橋、バラスト(これではちょっとかわいそう、バランサーとしましょうか):大胡田、サイテッドスキッパー:秋山の5名で出場しました。