セーリングデーに参加して

サングラスとライフジャケットがかっこいい林氏の写真

文 林誠一

2003年5月24日のセーリングデーに始めて参加させていただきました。
昨年5月に37年間のサラリーマン生活に別れを告げ、自由人となったのは良かったのですが、なにぶん突然のことで心の準備もないまま、言わば舵のない船で海原に出たようなものでした。仕事人間(以前の私の仕事仲間が聞いたら笑うでしょうが・・・。)から日常のルーティンがなくなったときの戸惑いと焦りはご想像できるでしょうか。

そんな日々を過ごしていたある日、久しく青学ヨット部時代の竹脇先輩、秋山氏とお会いする機会があり、そこでブラインドセーリングのことを聞きました。以前に竹脇先輩がイングランドで活躍された模様を新聞記事で拝見しましたが、当時はヨット、しかもクルーザーなんてものは私には縁のないものと思っていました。

「林、まだヨットに乗りたいかい?」と竹脇先輩から気軽に声をかけていただき、二つ返事で今回のセーリングデーに参加させていただくことになったわけです。

当日、遠足の日の小学生のように暗いうちから目が覚め、朝食を摂るのももどかしく家を出ました。埼玉から三浦岬は遠いですね、三崎口までは2時間半の道のりでした。

38年ぶりのヨットハーバーは眩いばかりで、数え切れないほどのクルーザーが所狭しと並んでいる様に圧倒されてしまいました。
メンバーが揃い、自己紹介となりましたが、私のヨット暦などは40年近い歳月の経過とともに既に風化し、私の口からは何も言えません。ただ、「さいたま(浦和)からきました林です。」が精一杯の言葉でした。(秋山氏が補足してくれましたが)

私たちの艇には竹脇先輩はじめ、計7名のメンバーとなりました。
乗船したのは31フィートのクルーザー、気持ちは舞いあがる寸前、少年のように興奮していました。コーチの方からティラを持たせてもらったときなどは40年前の鼓動が甦り、夢のような空想の世界に漂っているようでした。

村井さんがヘルムスマン、竹脇先輩がメイントリーマーとなってセーリングしたとき、スキッパー、ジブトリーマーとの息がぴったりと合い、健常者のそれと何等変わりなく操船している姿に感動を覚えました。“4人の心が一つになる”とはこのことかなと私なりに理解していました。

障害者も晴眼者お互いにあまり意識をしないで、“スポーツを通じて一つになれる”。本当にすばらしいことだと思います。このとき私は心に決めました。何年続けられるか分かりませんが、体力的に続けられる限りこのスポーツをやってみようと、・・・・。
どうかメンバーの皆さん、私も仲間入りさせてください。

陸に上がり、バーべキューパーティにも参加させていただき、近来になかった楽しい一日となりました。

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