第1回スプリングレガッタ2003その2

文 日高茂樹

2003年4月19日(土曜日)20日(日曜日)の2日間に渡って、「JBSA第1回スプリングレガッタ」が神奈川県三浦市シーボニアマリーナにおいて開催されました。
今回のイベントは、秋に1回の全日本選手権や世界選手権だけでは年間を通して目標が少ないのではないかという意見で、春の連休前に全国規模のイベントを開きJBSAの活動を活発にしたい、という目的で開催する運びになりました。
参加者は、選手がブラインド6名サイテッド10名(内オープン4名)、運営スタッフ24名が集まりレガッタを開催することになり、正式なエントリーは3艇、サイテッドだけで構成したオープン艇1艇の4艇でレースは行われました。初回とあって、エントリー数は少なかったですが、参加者は大分県、三重県、愛知県、静岡県、神奈川県、東京都と遠くからも参加があり、全国規模で「交流し親睦を深め、またお互いのセーリング技術を高めよう」という基本的な目的は果たすことができたと思います。今後とも何とか継続して有意義なイベントに育てていきたいと思っていますので、会員各位や関係者の皆様のご協力をお願いいたします。

さて、レースの方ですが、遠路大分から参加の麻生さん、宮園さん、渡辺さんは前日の夕方に現地シーボニア近くの宿舎「まるはち旅館」に到着し体調を整え万全の体制でレースに臨みました。結構近いけれどやはり遠い中部地区のメンバーは、19日早朝4時起き4時半出の車で浜松を出発し朝8時過ぎにはシーボニアに到着しました。関東近辺のメンバーは、8時過ぎに到着しレース本部のシーボニアマリーナ、ハーバーオフィスの2階に集合しました。懐かしいメンバーが久しぶりに集まり一気に雰囲気はレース気分になりました。
ヨット(J-24)を提供していただいた「チヒロ」さんは朝早く佐島マリーナを出港し、南南西の風12メートル毎秒以上の強風で向かい風のセーリングで皆さんびしょ濡れになってシーボニアに到着されました。朝早くからご苦労様でございました。
9時の集合時間には、全員がレース本部にそろい開会式スキッパーズミーティングが行われ、白子会長からのご挨拶を始め竹内レース委員長から諸注意の説明があり、風は強いけれどレースをやるのかなという皆の不安をよそに、「レースはプラクティスレースが10時スタートの予定で行いますので皆さん準備をしてすぐに出艇してください。」との前向きなアナウンスでそれぞれ自分達が乗る船に散らばっていきました。以下レースの様子を記します。

●4月19日(土曜日)1日目
マーク艇のシーボニア所有モーターボート「ノーススター」は、直径1.5mほどの大きなマークを2個積みマリーナを出港。運営の荒木さんとやっぱりいい風が吹いているけれども時間通りに準備しようとレース海面の場所を決定し、本部船の到着を待つ。
風速10?12メートル毎秒、波高2メートルほどの海況の中、本部船「アタランタ」はアンカーが効かず、レース艇は選手が艇に慣れようと何とか走ろうと準備をしているが、J-24はメインセールのリーフが出来ないので皆苦労をしながら、あっちこっちに散らばり本部船に集まってくる気配は全然ない。本部船に集まるように「ノーススター」で声をかけるが、本部船近くに来てもすぐにまたどこかに行ってしまう。これではレースどころではない。クローズホールドは何とか走ることは出来ても追手のランニングでは、波に翻弄されてまともに走れる船は余りないだろう、また安全のことを考えるとちょっと無理だろうということで、本部船竹内レース委員長からノーレースの指示が出て、全艇シーボニアに帰港させられる。
昼食後、上下のコースは無理だけど、沖の赤白ブイをアビームで行って来いのレースならできるだろうと判断し、マリーナ入り口にスタートラインを設置してスタート信号が発せられる。13時45分スタートで各艇沖の赤白ブイを目指してスタートした。が、それとほぼ同時に風速がいきなり強まり16メートル毎秒以上に吹き上がってきた。皆ブローチングを繰り返しながら大きく傾いてセーリングしている。沖に出れば波も風ももっと強くなるので、レース本部艇よりノーレースのフラッグが提示され、レースは中止となりレース艇は四苦八苦しながらマリーナに逃げ帰った。
その後風速が落ちる様子もないので、早めに当日のレースは中止を決定して、夜の懇親会にエネルギーをぶつけることになった。

各自シャワーを浴びたり、お風呂に入って懇親会のスタート時間を待つ。浜松から来たメンバーは旅館で死んだように寝ている由。多分、懇親会に向けて英気を養っているのだろうと勝手に想像する。
予定よりも早く18時より懇親会がスタートする。今回はレースには不参加だったが、午後マリーナに応援に駆けつけた名誉会長の竹脇さんと夫人の三香さんも参加し、懐かしいメンバー達と楽しい会話を交わしていた。扇谷さんの流暢な名司会で懇親会は進行していく。料理の方は、旅館の外見とは異なり、刺身の盛り合わせ、煮物、焼き物、最後にはマグロの頭の兜焼きがドーンとテーブルにならび、皆仰天する内容で海の幸を楽しみ満足する。お酒の方は秋山実行委員長が旅館のきれいなオカミを強引に口説いて持ち込みOKを取り付けた模様、ビールは飲みきれないほど、お酒はおいしい純米酒3本(あまりに旨くて酔っ払ってしまい、銘柄は忘れてしまった)をJBSAルールでビール1本、お酒コップ1杯が200円を払って飲み放題?で、皆席を入れ替わり大声で会話を交わし夜がふけていった。最後には大酒のみ数名が最後まで頑張り、追加のお酒を2升旅館から分けてもらい酔っ払い達の話が続いた。
何時に寝たのか、そのひとりであった私は記憶が定かではない。朝起きてみたら追加のお酒が4合ほど残っていたのは覚えており、秋山さんのボヤキ「1杯200円ずつで自己申告でザルにお金を入れてもらったけど、お酒は赤字だろうな」は覚えていた。

● 4月20日(日曜日)2日目、最終日
天候は昨日とは打って変わり、風向は北東、風速4メートル毎秒、天気は曇。曇ってはいるけれど、絶好のセーリング条件の中、レースは8時50くらいにスタートした。が、3艇しかいない。案内が悪かったせいか1艇が遠くにいることを確認して、すぐに「このレースは練習レースとします」の案内を運営艇「ノーススター」よりコールする。
コースは、スタート→風上マーク→風下マーク(スタートアウトリミットマーク)→風上マーク→フィニッシュ(スタートラインに流し込み)。上下マーク距離は0.6マイル(約1キロメートル)。
本日は、大分から参加の麻生さん・宮園さん・渡辺さんが午後1時過ぎの羽田発の飛行機を予約しているので、レースは11時までに終了しなければならない。2レースできれば良い方かなと計算しながら、本部艇「アタランタ」とマーク艇「ノーススター」は、早めに出港しマーク設定を急ぐ。レース艇も8時には艤装開始してすぐに出艇した。

9時08分本日の第1レースがスタートする。皆の気迫は感じるがジャストでうまくスタートできた艇はほとんどない。昨夜のお酒が残っている模様。風軸は55°で風向は60°?50°を周期的に振れている、風速は4メートル毎秒前後。二日酔いでも何とかごまかせる条件だ。このレースはブラインドヘルムスパースン森崎・ブラインドクルー麻生・サイテッドクルー真下・サイテッドスキッパー安西のチームが、ほとんど無駄のない安定した走りでトップフィニッシュする。走りから行けばこのまま優勝しそうな予感がする。

9時45分、第2レースがスタート。風軸は左に10°振れ風向は40°?50°を周期的に振れている、風速は 2メートル毎秒ほど上がり、ちょっと風を逃がさないとオーバーパワーになる状況である。スタートは下15°ほど有利なスタートライン。上側からちょっと遅れめで、ブラインドヘルムスパースン白子・ブラインドクルー村井・サイテッドクルー マイランケ・サイテッドスキッパー橋本のチームが、本部船近くでスタート前にタックを返してポートタックでスタートラインを横切って右の海面に向かう。後で聞いたらスタート失敗ではなく、最初から右(東)側のコースが良いと判断して皆が邪魔にならない本部船よりからスタートした由。風上マークで待っていると、他の艇はスタートしてそのままコースを延ばし上マーク見通し近くでタックしてマークに向かってくる様子を見ていたが、右のコースから突然に白子・村井・橋本・マイランケチームが現れてきた。コースも良かった様だがマイランケの体重も充分に有利に働いている様子。そのまま安定して最後までトップを維持してトップフィニッシュする。2位には左コースを取り安定してセーリングしている森崎・麻生・安西・真下チームが入り、以下オープンチーム、板倉・宮園・斎木・戸口チームが続く。板倉・宮園・斎木・戸口チームは艇にはスピードがあり安定して走っているのだが、いまいち冴えがない。冴えない理由は、斎木さんの脳みそが昨夜のお酒でまだ麻痺しているのか、近そうで遠い浜松からの移動の疲れがまだ取れていないのだろうか。

10時15分、第3レーススタート。11時にはレース終了予定で2レースしかできないだろうと思っていたが、レースは順調に進行し3レース目がスタートできた。風軸は更に左に5°振れ40°、風向は45°?35°で、風速も更に1メートル毎秒ほど上がり、クローズホールドではブローに合わせて風をうまく逃がさないと良い走りが維持できない状況。得点計算では2レースを終えて、森崎・麻生・安西・真下チームが3点、白子・村井・橋本・マイランケチームが4点、板倉・宮園・斎木・戸口チームが5点で最終レースを迎える。混戦のスタートの後しばらくそのまま走り、上マークへジャストのアプローチでタックした安定度抜群の森崎・麻生・安西・真下チームが、最初の上マークをトップで回航し2番艇に数十メートルの差をつけて風下へ帆走している。この時点で優勝を確定したと、本人たちは思ったであろう。私も一瞬そう思ったが、何が起こるか分からないブラインドレースのこと、最後まで観戦することにした。

トップ艇の下マーク回航は、メインセールもジブセールもこれまでより数段うまく引き込まれ、マークを回航した。と言いたいところだが、ここはやはりブラインドレース。神様はやはりいたずらがお好きなようで、艇が早く回転し過ぎてマークを回らず、マークの左側を通過して風上に向いて止まってしまった。絵に描いたような痛恨のマーキング失敗である。メインセールもジブセールもセールトリマーがトップを意識したどうか、アドレナリンが大量に噴出したようで、風が強いにも関わらずシートの引き過ぎでセールがパッツンパッツンに突っ張ぱった状態になっている。ここで一度シートを緩めて艇を左回りにゆっくり回していけば、大量リードがあったのでまだトップのままでいられたが、乗員は皆頭が爆発していたようで風上を向いたまま、一向に艇が回る様子がない。後続艇が追いつき30 秒前にはトップであったパニック艇を横目に見ながら、最初にオープン艇が、続いて白子・村井・橋本・マイランケチームそして3艇身ほど離れて板倉・宮園・斎木・戸口チームが下マークを回航していく。橋本さんが一瞬ニンマリと笑っているように見えた。これだからヨットレースはやめられない。と思ったかどうか?いや、確実に思っただろう。

板倉ヘルムスは今回の参加艇の中でも一番良いスピードで安定して艇を走らせており、しかも風向が左に振れてやや片のぼり気味のコースになっているので、同じポートタックで走っているがこのコースでは先にブローを受けているようで上り角度も良い。下マークのハプニングと良いのぼり角度でやっと目が覚めてきたか、斎木サイテッドスキッパーの脳みそも少し冷静に状況を把握できるようになったようである。しかしそんな簡単にはトップを取れるものではない。2番手で回航した白子・村井・橋本・マイランケチームが、アドレナリン全開で良いボートスピードで僅差リードしている。最後の上マークアプローチが勝負の最大の山場となった。白子・橋本チームが上マークまで100メートルくらいで最後のタックをしてマークにアプローチする。ほとんど差のない板倉・斎木チームは、後ろを通ってタックすると白子・橋本チームが先に上マークを回ってしまう。風下側でタックして上りきることが出来なかったら、これも白子・橋本チームが先に上マークを回ってしまう。絶対絶命の中、脳みそがクリアになったのかやっとアドレナリンが出てきた斎木さんは、風下側でのタックを選び大勝負に出た。タック後の2艇の距離は1艇身ほどしかなく、しかもほとんど横一線で並んでいる。上マークまでの息詰まる時間が過ぎる。上マークを内側で何とか回れるようになった板倉・斎木チームは、白子・橋本チームにルームの要求をして2艇はほとんど同時に上マークを回航して行った。この時点でまだ勝利はフィフティーフィフティーである。白子・橋本チームが上マークを回ってすぐに板倉・斎木チームをブランケットに入れれば、ここで逆転できたかもしれなかったが、白子・橋本チームはちょっと風上に向かってしまい、200メートル近く走った時点で下マークを確認したのか、ここから板倉・斎木チームと30メートルくらい離れて平行に500メートルほど走っている。残りコース約300メートルのところではフィニッシュラインに対してほとんど差がないように見える。板倉・斎木チームは、じっと我慢してフィニッシュラインのほぼ中央を目指している。斎木さんの脳みそからはアドレナリンがすっかりお酒を追い出したようで、この大会初めて真剣な表情をしている。数字に強い戸口さんと二人で得点計算をしていると思われる。3艇が現在のままの順位でフィニッシュすれば、3艇とも同点になり最終レースの順位がそのまま総合順位となるはず、何とかトップでフィニッシュしたいと思ったはずである。恐らく最後の100メートルほど時間にすれば1分間弱は、2時間にも3時間にも感じているだろう。

フィニッシュまであと100メートル近くの地点では、ほとんど並んで見えるが幾分板倉・斎木チームがリードしているように見える。そのままの状態で両艇はフィニッシュした。板倉・斎木チームが半艇身差くらいでフィニッシュし、この時点で優勝を決めた。野球で言えば、最終回サヨナラ逆転満塁ホームランである。
白子・橋本チームも同じく、最後の100メートルほどは、2時間にも3時間にも感じただろう。もし、たら、れば、で言わせていただければ、最後の100メートルほどを艇の向きを10°ほど風上に向けてスピードをつけてフィニッシュラインのアウトサイドマークギリギリを狙ったら、白子・橋本チームが半艇身ほどの差をつけてトップフィニッシュできたのではないかと感じた。もし、たら、れば、たら、れば。優勝をゲットできただろう。
森崎・安西チームも痛恨の下マークを回航した後、冷静になり艇をしっかり走らせたら、すぐ近くで回航していった白子・橋本チームとバトルして2番をキープできたら優勝だったのに。全員して頭がアドレナリンでオーバーヒートし爆発して再起不能に陥ったようである。たら、れば、たら、れば、残念!!!

レースの参加艇数は少なかったですが、見ている方には近来まれに見る最高に面白いレースでした。久しぶりに興奮させていただきました。選手の皆さんエキサイティングなレースを見せていただきありがとうございました。また、お疲れ様でした。

今回のレースを開催するにあたり、レース艇をご提供いただきました「はぜどん」の町田さん、特に「チヒロ」の皆様は、佐島マリーナから行きは南西の強風でずぶ濡れになって回航し、帰りは寒い北風の中また佐島へ回航するという厳しい条件でも、いつもニコニコと気持ちよくご対応いただきました。本部船をご提供いただきました「アタランタ」の関係者の皆様には艇を提供していただいただけでなく、寒い中じっと我慢してレースを運営していただきました。北村さんにはルール関係のチェックなどレース運営に関する貴重な助言をいただき、当日はプロテスト委員長としてスタンバイしていただきました。竹内さん、竹下さん始めとするカラスのメンバーの方、レース艇の提供だけでなく、本部船でもレースをきっちりと運営していただきました。シーボニアマリーナさんには、レースの会場やレース運営器材などを安価でご提供いただきました。皆さん本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
そして、レース運営スタッフとしてご協力いただきました皆さんお疲れ様でした。
まるはち旅館のきれいなオカミさん、秋山さんに口説かれて、海の幸いっぱいのおいしい料理と心温まるご対応ありがとうございました。このレポートをご覧になっている方、建物は多少古風ですが、是非一度まるはち旅館に泊まって海の幸料理を堪能してみてください。一流の大旅館の3分の1ほどの料金で幸せになれます。

「まるはち旅館」
住所   神奈川県三浦市三崎町小網代1421
電話番号 046-882-0808

最後になりましたが、秋山さんには実行委員長として、シーボニアマリーナとスケジュールや金額を交渉し、レース艇の提供していただいたオーナーの方々と連絡を取り、北村さんとルールの内容を詰め、まるはち旅館のオカミをくどいたりと、ほとんどの準備と根回しをしていただきました。秋山さん本当お疲れ様でした。ありがとうございました。心より感謝申し上げます。

次回は、秋の全日本が控えています。開催地の浜名湖フリートの皆様は準備で大変でしょうが、よろしくお願いします。
選手・スタッフ・関係者の皆さんお疲れ様でした。秋には浜名湖に集まってまた楽しいレースをやりましょう。

(注)
レースの実況をカセットレコーダーに録音して、興味のある方に実況テープを提供しようという荒木さんの提案より、今回の最終レースの実況録音をしてみました。今回は試験的に、日高が実況録音をしてみました。痛恨の下マーク回航の時など、興奮してアー・ウーしかしゃべれず、言葉のないお聞き苦しい個所が多数あります。また独断と偏見の独り言も沢山入ってしまい、当事者にはずいぶん失礼と思われるしゃべりも多数あります。軽い冗談と思ってご容赦下さい。
テープは、真下さんに持ち帰ってもらい、ホームページでダウンロードできるように加工してもらっています。完成し次第公開いたしますので、ご期待ください。