2013年8月 JBSA東京 保田レースのレポート
8月17~19日の保田レースの活動報告をお送りさせていただきます。
レースは1日のみでしたが、3日間にわたっての活動となっています。
参加者(敬称略)
サイデッド 橋本 児玉 谷下田
ブラインド 湯川 安達 伊藤 長谷川 (計7名)
(小柴さんが参加を予定していましたが、急病のため欠席)
●8月16日(第1日目)
南風 8,5m/s (2000)
2130 新木場駅集合後、マリーナへ移動
2207 夢の島マリーナを出港 汽走で保田を目指す
0200 風の塔通過
0500 第1海堡通過
0730 保田漁港到着
日中の炎天下を数時間かけて保田まで移動するのはつらい!
ということで、ナイトクルーズとあいなった今回の保田行。買い込んできた水や食料を「あほうどり」に積み込むと早速、出発。私にとっては初めてのナイト、しかも距離が長いとあってとっても楽しみにしていたクルージングである。
空は少し雲があり、湿度が高いものの、月も顔をだしており、さほど暑くはない。旅の始まりに胸が踊る。
いつものルートをとおって、いざ東京湾へ。荒川河口から湾上へこぎ出すと、昼間とはまるで違った夜の景色が我々を迎えてくれる。夜の海は真っ暗なんだろうなぁ、といった予想とは裏腹に、東京湾は案外明るいことに驚く。
ポートサイドの千葉側はやや暗いものの、スタボーには羽田、川崎にかけての街の灯りが延々と連なり、ところどころに高層ビルらしき光の束も見える。
東京湾のナイトクルーズでは、この灯りと本船の航行灯を区別するのに細心の注意が必要とのこと、児玉さんが「オールハンズ、オンデッキ」を宣言する。
太平洋高気圧の関係で、風は南風、うねりも波高50cmとやや高く、潮は上げ潮、南を目指す「あほうどり」にとって、条件はあまりよくない。夢の島マリーナから保田まではおよそ35マイル。到着時間は翌朝6時前後かと見積もっていたが、現実はそう甘くないようだ。
その不安を裏付けるかのように、ふと気がつくとさきほどから右前方に見えている東京ゲートブリッジはいつまでたっても近づいてこない。本当に船は進んでいるのかしらん?
深夜を過ぎた頃、「そろそろ海ほたるあたりですかね?」と安達さんの声。
「まだ羽田もすぎてませんよ」と橋本さん。先は思ったより長そうだ。
2時頃にようやく風の塔を通過。気温自体はさほど下がっていないのだろうが、いささか寒さを感じる。ピッチングもかなり激しい。ボートピープル、さもあらん、とは勝手な想像。
このペースで行けば到着予測時間は……えっ、お昼ぎ!???
寒さと睡魔と落胆のために、私もしばしキャビンへ避難して、仮眠をとらせていただく。
目が覚めると、夜は少しずつ明け始めていた。左手では第1海堡の厳つい姿が朝靄の中から浮き上がる。海堡とは、明治政府が東京湾防衛のために埋め立てて作った人工島で、かつては、ここに巨砲が設置され湾内外の要所ににらみをきかせていた。貴重な歴史遺産である。
この頃になると、どうやらうねりもおさまってきて、さきほどより揺れは少ない。到着予定時間もだいぶ繰り上がったようだ。
明るくなってきたこともあってか、船内には、少しリラックスした雰囲気が漂う。そうなると現金なもので、全員、空腹を感じはじめた模様。その様子を見かねた「あほうどり」の食当こと谷下田さんが、手早く朝食をつくってくれる。本日のメニューはサンドイッチ。
夜を徹してのクルーズでお疲れのところ、心より感謝。いつもながらのうまそうな食事に、早速かぶりつく。
7時30分、無事保田に到着。とりあえずオーニングを張ってベースキャンプを設営し、「ばんや」の風呂で長旅の汗を流す。風呂上がりは、冷房のきいた食堂に腰を据えビールで乾杯!
こうして保田クルーズの第2日目が終わり、そのまま「大波乱」の2日目へと突入したのでした。
●8月17日(第2日目)
~1630 自由時間
1630~ 艇長会議・大会パーティー
夕方までは各自、自由行動。ポンツーンで酒を飲みながら、いつものごとく、下ネタから政治、宗教といった高尚な話題まで、自由な会話が飛び交う。谷下田さんは穴子をねらうとばかり、堤防から釣り糸をたれるものの、潮のせいか、腕のせいか釣果はハゼとヒイラギの2匹のみ。
明日のレースに備えて、各自思い思いの時間を楽しんだ。
16時すぎに全員でパーティー会場に移動し、16時30分からの艇長会議(結局は参加者全員を対象としたブリーフィングになった)に出席する。
会議では、TYCの大会実行委員長の挨拶の後、レースの変更について、以下のような発表があった。
・レースのスタート時間を6時00分から、9時00分に繰り下げ
・ゴールラインを浦安沖から第1海堡と第2海堡の見通し線上に変更(距離としてはおおよそ4分の1くらいでしょうか)
その理由として、
・例年、6
時の段階では風が吹かず、スタートライン海域で風待ちを余儀なくされている(9時頃からは風が吹くとの説明)
・昨今の異常気温を鑑み、熱射病対策としてレースを短縮する
というものであった。
一見、合理的なようにも見えるが、案外疑問点も多い。
例えば、9時へのスタート繰り上げと熱射病との関係はどうなのか。朝のほうが涼しいのは明らかだし、第1海堡でレースを終了しても、結局のところ、多くの艇は夢の島まで帰らなければならない。そこはどう考えるのか?
また、本当に朝の6時には風は吹かないのか?
「熱射病」を強調するが、そもそも自己の責任で参加しているのだから、「熱射病へは特にお気を付けください」の一言でいいのではないか(我々もそのために自己判断で夜を徹して保田へとやってきた)、などなどである。
事実、他の艇からも同様に疑問の声が聞こえてくる。
そこで、ある艇長が代表して、これらの疑問について実行委員長に説明を求めた。
ところが……。
意図的だったのかどうかは不明だが、マイクはオフにされ、何を質問され、それに対してどう説明しているのか参加者にはいっこうに伝わってこない。その間も連絡事項が次々と読み上げられ、結局、最後まで、明確な説明が得られることはなかった。
個人的な印象だが、最初から説明するつもりはなかったのではないかと疑われても仕方がない、「会議」の体すらなしていない状況だった。
きちんと説明されていたならば、多少内容に不満があったとしても、(しぶしぶながらも)受け容れていたかもしれない。しかし、この「会議」の進め方には、あほうどりの誰もが納得できなかったようだ。、
さっそく児玉さんを中心に、パーティーの席上で今後の対応について緊急ミーティングを開いた。選択肢は2つである。
その1 レースに参加して、その上で実行委員会に、今回のレース運営についての異議を申し立てるか。
その2 無言の抗議として、最初からレースへの参加をとりやめ、当初の予定どおり6時に保田を出発する。である。
JBSAのメンバーは、お互いの考えを尊重しあえる仲間である。障害の有無に関係なく、それぞれの意見に耳を傾け、自分の意見を述べたうえで、全体の利益を考え、集団としての行動をきめることができる存在である。
話し合いの結果、我々は「その2」、すなわち今回のレースは棄権して、当初の予定どおり早朝に出発することに決してフラッグを実行委員会に返納、明日に備えて休養をとることとなった(詳細は控えるが、この問題をめぐっては、実行委員長と他の参加者の間で穏やかならぬトラブルへと発展し、失笑を禁じ得ない一幕があったことを書き添えておく)。
こうして、なにやら暗雲が立ち込めた2日目は暮れていった。
我々は明日の風を祈るのみ、である。
●8月18日(第3日目)
南風 8,5m/s(0600)
南南東 10,7m/s(1200)
0500 保田漁港を出港
0530 汽走のまま、メインセールアップ
0600 「保田レース」のスタートラインより出発
0650 浦賀航路のNo4ブイ通過
0710 伊藤、ヘルムス 担当
0715 長谷川、 ヘルムス担当(~0730)
0745 「レース」のゴール、第1海堡と第2海堡の見通し線上を通過
0930 海ホタル 通過
1100 「本来のレースのゴール」であるディズニーランド沖通過
1145 京葉線ガード下を通過後、メインセールダウンし汽走
1200 夢の島マリーナ着
民宿組は、3時に起床し、宿の車で港のあほうどりへ向かう。
船で寝ていた谷下田さんと湯川さんは、隣りに停泊していた船のシートの金具が風にあおられて発する音で、いささか寝不足のご様子だ。
どうやら予報通り、天気はよさそうである。問題の風は……。
ほ~、おあつらえむきの風が吹いているではないか!
なにはともあれ、急いで出艇準備を終えるとエンジン点火、港を後にする。向かうは、保田レースのスタート海域である。
実は前日、やはり棄権を決めた艇と話をし、我々は我々で今回のレースを楽しもう、ということになっていた。ビール1ケースを賭けてのレースである。が、準備に手間取っているのか、ほかの艇は一向に現れない。
5時55分、スタート5分前を携帯電話で通達し、6時ちょうど、南風をいっぱいに受けて、あほうどりは帆走を開始した。
早朝の清浄な空気の中、かなり先まで陸地が見えるとのこと。ここまで見通しがきくことも珍しいらしい。東京湾観音もにっこり微笑み、我々を祝福してくれているかのようである。
あほうどりは、飛ぶように走る。我が道を行く「あほう」は「あほう」でも、やっぱり鳥である。ランニングのため、肌で風を感じることができないのが残念だが、一直線に描かれる白い航跡が船足の速さを物語る。
7時45分30秒、第1海堡を通過。児玉さんが高らかとタイムを読み上げる。後日発表されたレース結果と照らし合わせると(条件など違うので、意味のある計算とはいえませんが)、出場12艇中9位の成績(トップは修正前のタイムで1時間20分12秒、エントリーは当初16艇だったが、うち4艇が棄権)。
あほうどりは公式記録では「DNC」とされたが、「3時間も前に出艇していたのに!」とは湯川さんのコメント。
その後も順調に北上を続け、9時半すぎには早くも海ほたるへ到着。あほうどりがこんなに早く走ったことはかつてないぞ、というサイデッドの感想を聞くにおよび、我らがあほうどりも今回の選択に賛意を示しているのではないかと内心思う。
ジャイブをして、アクアラインの橋梁を西に抜け、ちょっと海ほたるのお客さんに「いい日和ですねぇ」とご挨拶。非常時用の桟橋の前を横切り、再び行動開始。建物で風が遮られ、しばし船足が鈍るも、すぐにまた勢いを取り戻す。
見渡す限りの青い海に青い空、気持ちいいことこの上ない。
1100時、東京ディズニーランド沖通過、もうこのあたりは我らが海だ。見慣れた水門を抜け、昼前には無事、夢の島へと到着した。帰路はなんと6時間弱。
いうまでもなく熱射病にかかったものなどひとりもなく、いたって元気。「今回の保田は、いろんな意味で、これまでで一番楽しかったレース」とは橋本さんの感想だ。
最後は揖保の糸で締めの昼食。
かくして、今年の保田レースは、「幻」となった。私にとって初のレースは持ち越しとなったわけだが、楽しみは先延ばしのほうがい。それよりも私は、自分たちが選んだ行動を、クルーの一員として誇りに思う。もちろん、その判断が絶対正しいとは思っていない。しかし、やっぱり、同じ走るのなら、気持ちよく走りたいではないか。だから今回は「これでいいのだ」と思う。
サイデッドの皆さん、素晴らしい3日間をありがとうございました。
次回を楽しみにしております。