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か ねてより東京湾でのセーリングを実現したいと願っていた私たちに、東京夢の島マリーナさんが深い理解と協力をしてくだることが決定し、このたび竹内秀馬氏 (竹内さんの父上)が寄贈してくださるソレイユ・ル・ボン26、艇名「あほうどり」を四国今治から私たちの手で東京湾まで回航しようということになりまし た。
JBSAにとっても意義深いこの回航に、メンバーの一人として参加させていただきましたので、その模様を回航記として報告させていただきます。

≪今治?粟島≫ 2004年4月16日

私たちは、4月15日(木)の晩に寝台列車サンライズ瀬戸で、東京を出発し、岡山で特急しおかぜ1号に乗り換え、あほうどりが待つ愛媛県今治市に向かいました。

私 はこの旅行では、ソレーユ・ル・ボンをJBSAに寄贈してくださったJBSAメンバーの竹内さんのお父様がどのような方か、お会い出来ることをなにより楽 しみにしていました。そして、瀬戸内海をそのあほうどりでクルージング出来るのが嬉しく、この日が来るのを待ち遠しく過ごしていました。

東京出発の15日、私はリュックに旅行カバン、それに寝袋を持って職場に出勤しました。そして仕事が引けた後に、点訳の会の定例会に顔を出してから、東京駅に向かいました。
午後9時、かわいい盲導犬ダフネを留守番に家に置いてきた私は、大荷物を抱えながらの杖歩行で、ようやくの思いで東京駅の待ち合わせ場所に着きました。そ こには秋山さん、竹内さん、岩本さんが既に来ていました。橋本さんは、その週は大阪に出張があり、現地今治で合流することになっていました。

私たちは、落ち合うと先ず「これからいよいよ出発だね!」と、声を掛け合い、安全な航海を願って堅い握手を交わしました。
そして、先ずは腹ごしらえと乾杯のため、会食。その後出発ホームに向かいました。
すると、そこに竹脇さんご夫妻が差し入れを持って、私たちの見送りに来てくださっていました。私たちは、ここで再度竹脇さんご夫妻と、無事の航海を誓い合う握手を交わし、乗車。
午後10時、寝台特急サンライズ瀬戸は、定刻通り出発となりました。私たちは、竹脇さんご夫妻に見送られながら、手を振り合いました。

こうして、あほうどり回航の旅が始まりました。

サンライズ瀬戸での旅はなかなか快適なもので、寝台車に併設してラウンジスペースがあり、ゆっくり腰を下ろして窓から外が眺められるようになっていました。私たちは当然のことながら、ビールで再再度乾杯をしました。

16日午前6時27分、岡山到着。快晴。

朝食に駅の立ち食いでうどんを食べ、休憩。
7時23分、特急しおかぜ1号に乗り換え、今治へ。
岡山を出発して30分もしない中に、列車は瀬戸大橋にさしかかり、あっという間に、私たちは四国に渡っていました。

列車は、途中香川県の観音寺駅に停車しました。私はそのとき、学生のとき大変お世話になった、今は亡き恩師のことを思い出しました。先生は確かここ観音寺が郷里だと言っていました。
先生は、私の盲導犬エードリアン(今のダフネの先代)を良くかわいがってくれました。先生は、私が大学を卒業後も「あなたと死ぬまでおつきあいさせてもら いますよ」と言って励ましてくれたものです。その言葉に私はあまりにうれしく、思わず涙が出てしまいました。

先生は情に厚く、面倒見の良い方でした。しかし授業は厳しく、福田先生の授業に出るには、女子学生はハンカチが3枚ないと足りない、と言われていたほどでした。
福田先生には、厳しさの中に優しさがあり、学生と真剣に接してくれる方でした。そして先生は、私が一生の師と仰ぐ唯一の存在でした。

私は列車が観音寺に停車している僅かの時間、そんな福田先生が、旅先で出会った人やその町の様子を綴った随筆「時刻表から消えた町」という本があったのを思い出していました。

そして、私たちを乗せた特急潮風は定刻通り、9時27分、今治に到着しました。
改札を出ると、橋本さんと、お迎えの宮武さんが待っていてくれました。私たちは軽く挨拶を交わし合うと、早速宮武さんの車で、あほうどりが停泊している港に向かいました。

港 に着くと、竹内さんのお父さんがもうあほうどりの出港の準備をして待っていました。あほうどりの前には、お父さんのヨットのお仲間、竹内さんの妹さん、そ の他海員学校でお父さんから教えを受けたという人たちがたくさん見送りに集まっていました。そこに南海放送の記者とカメラマンが加わり、竹内秀馬氏とあほ うどりの最後の航海のセレモニーのようなものが始まりました。

先ず秋山さんから、JBSAより竹内秀馬氏にフラッグと記念品をお贈りしました。すると、私たちにお父さんの教え子だった方々から花束が手渡され、記念撮影となり、それは正に盛大なセレモニーとなってしまいました。

竹内秀馬氏は、84歳というお年を感じさせない程に矍鑠(かくしゃく)としておられました。また、海員学校の教官だったことを十分に窺い知ることの出来るだけの品格と威厳を備えた方でした。そして、秀馬氏の言葉一つ一つに重みがありました。
この日集まられた方々は、「先生のあほうどりが旅立つと聞いたのでやって来ました」と、皆さん言っておられました。

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午前10時15分、あほうどりは秀馬氏ご夫妻の故郷である粟島に向けて、エンジン音を快調に響かせ、最後の航海に出発しました。
そして、私たちと港で見送る人たちの間をつなぐ紙テープが徐々に長くなり、テープは端まで延び、別れを惜しむように風になびきました。

あほうどりは、快晴の空の元、風もなく波もない瀬戸内海を滑っていました。機走で5.3ノットの艇速。今治から粟島まで、おおよそ38マイル。

今 治を出てしばらくすると、竹内お父さんが私たちにビールを勧めてくれました。お父さんはお酒は飲まれない方だと聞いていたのですが、私たちを気遣ってお酒 を勧めてくれたのです。そして、ビールと一緒にお父さん特製の鶏肉の薫製が出てきました。すると、すかさず竹内さんが「これが食べてもらいたくて、ビール を勧めたんでしょう!」と言って、薫製を取り分けてくれました。竹内お父さんの特製薫製は、ビールのつまみにはこれ以上のものはないくらい、美味しかった です。お陰であほうどりでの歓談は、一層艇速がつき、私たちはうち解け合い、和やかになりました。

あほうどりが新居浜沖を通過したところで、竹内お父さんに教えを受けた人の一人である仙波さんが、自身のヨット“nymph(ニンフ)”に乗って、あほうどりの見送りのために新居浜を出て来ました。それ以後、あほうどりとニンフは、粟島までランデブーとなりました。

航 海の途中、風がやや上がってきました。それで、メインとジブを上げ、エンジンを止め、ブラインド・セーリングのデモンストレーションを少しやってみまし た。しかし、風がいかんせん弱かったので、これでは粟島に予定通り着かないということで、直ぐにまた機走することになってしまいました。
ですが、エンジンを止めたときの海は、大変穏やかでした。それは、私には過去に経験がない程に、静寂な海でした。

粟島が遠くに見えてきた頃で、南海放送(日本テレビ系列)のカメラマンからのインタビューがありました。竹内秀馬氏、それに私と岩本さんの3人がインタビューを受けました。
その様子が放映されるのは、明くる週の4月20日(火)の午後6時からのニュース番組の途中、とインタビューアーが言ってましたが、放送は四国地方のローカル番組ですので、そのころは既に東京に帰ってきている私たちには見ることが出来ません。
私はインタビューのとき、なにを言っていたかあまり覚えていませんが、関東にいる仲間に見られることがないので、返って調子に乗ってしゃべっていたのではないかと思います。

午後4時15分、あほうどりとニンフが粟島近くの三崎の鼻にさしかかったところで、お迎えのヨットが2艇加わりました。
それらは“海遊“と“ピーヒョロ”という艇名のヨットで、あほうどりと同じソレーユ・ル・ボンです。
海遊のオーナー中田裕久さんは、やっさんと呼ばれ、竹内さんの従兄弟に当たる方です。一方ピーヒョロのオーナーの三井さんは、秀馬氏の海員学校での教え子だそうです。教え子とはいっても、三井さんも70歳になる方で、立派な老紳士でした。

あほうどりとお父さんの最後の航海は、このように海の仲間に囲まれ、艇を連ねてあたかも祝祭パレードのようになりました。
これも、秀馬氏の人望と海の男たちの友情によって成された結果ではないかと思います。その船の新たな旅立ちに、このように見送られて航海出来る人がどれだけいるでしょうか?

午後5時20分、あほうどりとその船団は、竹内秀馬氏が教鞭を取った旧粟島海員学校前の桟橋に舫いをとりました。

その夜、宿舎で和やかな宴会が催されました。
そのとき、竹内秀馬氏が「わしは、海員学校で鬼とよばれていたようだが・・・」と、教え子たちを前におっしゃってました。しかし、私が想像するに秀馬氏 は、鬼と呼ばれるほど厳しくも、学生から慕われた師であったのではないかと思います。それだからこそ、秀馬氏が今なお「先生」と言われ、親しみと畏敬を 持って呼ばれているのだということが、良く分かりました。

竹内秀馬氏は、宴会の席で私たちに「あほうどりは老艇ですから、労ってやってください!」とお言葉が贈られました。
あほうどりは、秀馬氏の20年に渡る航海と思い出が詰まる大切な船です。そして、なにより竹内さん親子の人生の機微を乗せてきた艇です。そのあほうどりを私たちに寄贈していただき、なんとも言葉では尽くせない程に感謝しております。
あほうどりを引き継ぐ者の一人として私も、お父さんの「オールド・ヨットマンのソロ航海記」を読ませていただこうと思ってます。
そして、あほうどりとお父さんの歴史を知り、その志を傷つけることないよう、このあほうどりで真摯にセーリングライフを満喫させていただくつもりです。

お父さんの言葉を忘れることなく、あほうどりを大事に使わせてもらいます。
どうもありがとうございました。

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竹内秀馬氏