2010年5月 サンフランシスコ親善レースのレポート
先日参加した「サンフランシスコ親善レース」の報告をいたします。
2010 カリフォルニア インビテーショナル ブラインドセーリング レガッタ
2010.5.14~16 カリフォルニア州アラミダ
1日目
安達文洋、山賀信行、マイランケ・ラルフ、飯島賢司ならびに明子の5名は、5月13日午後3時40分に成田空港を飛び立ち、13日午前8時40分(現地時間)サンフランシスコ空港に到着した。空港に出迎えてくれた主催者側のスタッフの車で1日目の宿泊先、マリーナビレッジインに入った。午後、JBSA会員でサンデェゴ在住の岩本光弘さんが訪ねて来られ、久しぶりの再会を喜び合い、プールサイドのベンチで歓談した。
その日の夕方、岩本さん、マサチューセッツの選手達と、「アルカトラズ」を観光した。
1日目
朝、迎えに来てくれたスタッフの車で、スーツケースなどを積んでアイランド・ヨットクラブのクラブハウスに移動した。今回の宿泊はホームステイが設定されていて、ここでホストに紹介された。
安達さんとラルフさんはトムさんご夫妻のお宅に、山賀さんはベティさんのお宅に、私ども夫婦はディビッドさんご夫妻のお宅にお世話になることになっていて、それぞれのお宅に荷物を運んでいただいた。
午後から早速練習レース。使用艇はJ24、主催者側で6杯用意してくれた。
世界選手権のように新しいセールではなかったが、艇の程度はそんなに悪くはなかった。エンジンは外してあり、桟橋からセールを上げて出航し、セールで帰着するということになっていた。今回のレースでは、我々4名の選手の他に1名、オーナーかオーナーの代理が乗るということになっていて、この練習レースにも、年配の男性が我々の艇に同乗した。
練習は模擬レースを3回、スタートからフィニッシュまで行った。
3日目
いよいよレース本番の日がやって来た。モーニング・ブリーフィングが行われ、コースが説明された。
サンフランシスコ湾の北東部にアラミダという島があり、その島と陸地の間の水路のような所がレース会場で、クラブハウスの桟橋の前がスタートとフィニッシュに設定されていた。その水路の幅は、狭い所で300m、広い所で500m、スタートから上マークまで約1.5Km位であった。
コースは2種類、弱風のコースは、スタートして上マーク1をクロックで回り、スタート位置より下の2のマークをクロックで回って下から流し込みでフィニッシュ。
強風のコースは、スタートして上マーク1をクロックで回り、2のマーク(スタート側から見て1のマークの右側300m位に置かれている)をクロックで回り、再び1のマークをクロックで回り、3のマークをクロックで回って下側からフィニッシュという設定であった。
さて、ブリーフイングで艇のくじ引きが行われ、我々の引き当てた艇は、ウインデックスが付いてない少々古い艇であったが、走りは悪くなかった。メインシートのトラベラーを固定するカムがうまくかみ合わず、山賀さんは苦労していた。
10時に最初のレースがスタート。第1レースは4位、昨日の練習レースは全く走っていなかったのでまあまあではなかろうか。次の第2レース、思ったより良く走って最後の3マーク回航までトップであった。所が1マークを回った所で風のシフトもあって、突然コントロールを失い、スコンスコンと抜かれて5位になってしまった。
誠に残念。
次の第3レースは4位であった。
3レース終わって昼の休憩になり、艇を交代した。午前中の第3レースまでは、弱風のコースであったが、この第4レースから強風のコースになった。第4レースは船にも助けられたか、良く走って1着でフィニッシュすることができた。うれしくて信じられない気持ちであった。
これで気持ちが舞い上がってしまい、次の第5レースは、スタートから失敗して5着。気を引き締めて次の第6レースに臨み、頑張って2着をとった。
思った以上の成績で、初日のレースは終わることができた。
レースが始まる前までは、とにかく怪我をしない、船をぶつけないことを考えていたから、スタートもひかえめであった。レースを重ねる毎に次第に強気になって行ったように思う。安達さんは体調も良く、的確にティラーを操作していたが、風向が急に大きく変わるので苦労されたと思う。山賀さんは危なげなく、確実にメインセールを操作していた。ラルフさんは、私が英語の理解が不十分な中で、的確な情報を提供してくれた。ラルフさんの指示で走っているといってもいいくらいであった。
4日目
いよいよ最終日であるが、この日は3レース行われ、4位、5位、5位と低調であった。疲れがたまったのであろうか、私も緊張を維持するのが難しくなったようだ。
チームの皆さんに申し訳ないと思った。
最終レースが終わって総合得点で4位になったが、修正の結果、岩本さんのチームに逆転され5位になってしまった。成績は良くなかったが、とにかく無事に終わってホッとした。
この大会は、アル・スペクターさんの熱意で実現したもので、現地の大勢の方が協力して素晴らしい大会に仕上げられた。敬意を表する次第である。
アルさんは2013年の日本でのブラインドセーリングの世界選手権にも参加すると言っておられた。
良い大会にしたいと思う。