第6回全日本選手権2005 レポート 村井優夫

文 村井優夫

大変長らくお待たせしました。9月の全日本のレースレポートが書き上がりましたので、ご覧ください。こたつに入って、ミカンでも食べながら、このレポートを読んで、夏の一時の思い出に暑くなっていただけたらと思います。

《ティーム・アールグレー》 メンバー
 ブラインドヘルムス 村井優夫
 ブラインドメインシートトリマー 竹脇義果
 サイテッドスキッパー 日高茂樹
 サイテッドジブシートトリマー 村上昭司

 ティーム・アールグレーでヘルムスを担当しました村井と申します。お陰様で、私たちのティームがこの度のブラインド全日本において第1位となりました。皆様に本大会の感謝を込めて、レースのレポートをさせていただきます。

 私は、今回ブラインドヘルムスとして、ティラーを握らせてもらいました。過去2回、私はこのブラインド全日本でメインシートトリマーを担当していましたが、ヘルムスを勤めるのは今回が初めてです。そのため、これまで以上に緊張してレースに臨みました。
 ティーム・アールグレーの命名の心は、煮出すほどに渋い男だぞ、といった意味を込めてアールグレーと称しました。そして、ティームのメンバーは、スキッパーに日高さん、メントリに竹脇さんというJBSAの歴史をつくってきた2人のコンビネーションです。
 日高さんと竹脇さんは1996年にJBSAが発足した当初、イギリス・ウェイマスで行われたブラインドワールドで見事第3位、銅メダルに輝いたとき以来のメンバーです。当時のティームメンバーは、

 サイテッドスキッパー 日高茂樹
 ブラインドヘルムス 竹脇義果
 ブラインドメインシートトリマー 八木洋平
 サイテッドジブトリマー 竹脇献

 このときから竹脇さんと日高さんは共にJBSAの顔であり、今日もなおJBSAをリードする二人です。また、日高さんは皆さんご存知の通り、1980年のモスクワ・オリンピックのヨット競技の日本代表であり、ブラインドセーリングは元より日本のヨット会における指導的なセーラーです。
 そのような2人と組むことになり、私の緊張はより増していました。そして、竹脇さん、日高さん2人を配してのティームであることから、他からは優勝以外は負けだとか、ハンディを着けた方が良いのではないかなどと揶揄されていました。

 2005年9月17日(土曜日)
 《予選》
 ティーム・アールグレー 成績
 第1レース 1着
 第2レース 1着

 大会初日は、予選レースが行われました。我がティームはメンバー全員での練習を一度しか行っていませんでしたので、ティーム内でのコミュニケーションその他の確認など十分に出来ていない面があり、若干の不安を残していました。とはいっても、メンバー各人ブラインドセーリングでのレース経験はありましたので、予選ではレースをしながら練習といった感じで行こうと言っていました。しかし、実際に海面に出て、私たちが配された予選Aブロックの他のティームを良く眺めると、何と強敵揃いでした。

 シーボニアののんびりレースで鳴らした神奈川のレース巧者、スキッパー秋山(サイテッド)にJBSA・No.1ブラインドヘルムスの川添を配したティーム・湘南爽風(ブリーズ)。
 浜名湖の名スキッパー齋木(サイテッド)を筆頭とする勇者揃いのティーム・ビッグマウス。
 東京夢の島の勇、橋本(サイテッド)スキッパーといつも村井に闘志をむき出して攻めてくるブラインドヘルムスの新井、それに新人ながらも侮れないメントリ福尾(ブラインド)と落ち着きの中に炎を燃やすジブトリ水内(サイテッド)の ティーム・ラッキーウォーター。
 そして、神奈川三崎の熱血スキッパー石田(サイテッド)とこのところ腕を上げてきたブラインドヘルムス金輪、それにベテランメントリ篠原(ブラインド)とゲルマンの力、ラルフ・マイランケのジブトリという日・独国際ティーム・ドルフィン。
 これら強豪の中で、我がアールグレーは渋いアジを十分に煮出せるかどうか? この5ティームの中、上位3ティームに入らなければ予選落ちです。練習しながらレースなどと悠長にスタートするゆとりはもうありません。

 スタート20分前、先ず日高さんがティラーを握ってヘルムの感触を確かめながら艇を走らせ、セールをセットアップさせて行きました。ハリヤードのシートに、この風ならここが一番良さそうだというところにテープを巻いて目印としました。1センチ、2センチの違いで、艇の走りが変わりました。そのような作業をしながら風と潮を確認していよいよ5分前のホーンが鳴りました。そして、私にティラーを代わりライン取り。そのとき風は相当落ちてきていました。日高さんが、「これは風を初めに掴んだ方が勝ちだぞ!」と言いました。本部艇からカウントダウンのプーという合図が1分前を告げ、さらにプーと鳴りスタート。私たちは日高さんの読み通り、入ってきた風をうまく掴んでラインを滑って行きました。

 艇は、北東の風1?1.5メートルの微風の中、艇団のトップを進みました。途中、風はさらに落ちて行き振れていました。それでも、艇は風を掴んで、ゆるりゆるりと海面を滑っていました。タックの声がかかり、手早くタック。しかし、風がないのでタックするにも時間がかかります。
秋晴れの暑い日差しが肌に刺さり、海は静かでした。すると日高さんが、「長期戦になるからリラックスして行こう!」と声を掛けました。そして、艇をしずしずと滑らせ上マークにアプローチ、そして回航。ベアしてランニングと思いセールを出したところで、ジブトリの村上さんが「前から風が来ているぞ!」と叫びました。どうやら私たちがマーク回航したところで風が変わったようで、クローズになっていました。風はもう1メートルもありません。それでも、艇は漂いながら進んでいました。
 後方を見ると、他の艇がマークアプローチのところで止まっていました。しばらくして、私たちの艇もついに止まってしまいました。すると、本部艇からホーンが鳴り、無情にもノーレースとなってしまいました。そのまま行けば、私たちはブッチギリのトップフィニッシュとなったはずだったのですが、仕方なくエンジンを起動させて本部艇の方に向かいました。
 レースは風待ちとなり、昼食休憩に入りました。名島沖の海面を眺めると、南から風が吹いてきていました。午後1時過ぎ、レース海面にも風がようやく到達して、南2?3メートルの風が安定して入って来るようになりました。そして、予選Bブロックからレースが再開されることになり、私たちと艇に乗り合わせていた、浜名湖のティーム・ウナギのメンバーたちがそれぞれの持ち場に着きました。

 今大会では、艇の数が6に対して参加ティームが10であったため、くじ引きにより、Aブロック・Bブロックの5ティームに分かれ、初日の予選レースが行われました。そのため、少しでも時間短縮を図る必要から、1艇にA・Bの2ティームが乗り合わせて、Aブロックのティームがレースをしている間、Bブロックのティームはキャビンの中でレースに影響を与えない姿勢で待機するといった形式を取りました。
 日高さんが、ティーム・ウナギのスキッパー名畑さんに、セールがダクロンで風をはらんで良く伸びるから、普通では上げ過ぎというぐらいにハリヤードを引いてセールを浅くしないといけないこと、また、セールが浅くなっているので少し落とし気味に走って、スピードが着いてから上らせて行くと良いことをアドバイスしていました。

 そのようにして、Bブロックの第1レースが行われた後、Aブロックのやり直しの第1レースがスタートしました。私たちは本部艇側の上スタートをうまく切ることが出来ました。スターボードで上らせているところに、風下からティーム・ドルフィンが来て、スキッパーの石田さんが「オーバーラップ」と叫び、それに対して日高さんが「オーバーラップしていない!」と大声で返してレースの駆け引きが早くも始まりました。

 艇は南2メートルぐらいの風を受け、海面をするする滑っていました。私以外のクルーは皆、風下側のデッキに座り、艇を適度にヒールさせていました。そして、日高さんよりタック準備の声がかかって、タックです。
 私は普段エクステンションを使ってタックをしたことがありませんでした。ブラインドでエクステンションを持ったままタックするには、ちょっと難があるのです。サイテッドの人たちはエクステンションを持ちながらのタックは特にどうということがないのでしょうが、私たちの場合、足下が見えないので、ティラーをまたいで、デッキの段差を越えて向こう側に立つというのは非常に怖いのです。ヒールして傾いている艇を小気味よくポンポン渡り歩いて行くなんてことは、もっての他です。足をデッキに引っかけてつまずいたり、そのまま勢いよく反対側に体を突っ込んでしまい、落水するのではないかと不安になります。また、頭の上のブームも気になります。そういう訳で、普段エクステンションを持ったままタックということはしていません。今回の艇は30フィートです。エクステンションを使ってデッキの縁に座って艇を安定させることが、レースに有利に働きます。そのため、8月に唯一行ったティーム練習では、私のエクステンションを持ったままでのタックの練習に終始しました。
 
 そして、タックの声がかかった後、私はデッキを一段下がりながらティラーを押してエクステンションを片手に持ちながら足を運ばせ、反対側のデッキに素早く座りました。艇はまだタック中で、私の背中側で海面からシュルシュルいう音が聞こえ、艇が海面を切って行きました。すると、艇が起き始め、私は引いていたエクステンションを押して元の位置に素早く戻しました。先ずはタック成功。8月の練習以来行っていたタックのイメトレが功を奏したようです。
 そのようにして、私たちは上マークをトップで回航しました。ベアしてランニングになったところで、日高さんが「左右から艇が来ている。上らせて!」と言いました。私はティラーを押して艇を右に振りました。すると今度は日高さんが「落として!」と指示しました。 ティラーを引いて落としたのですが、それが落とし過ぎだったようで、日高さんが力の入った声で「大きく上らせて、ぶつかる!」。私は慌ててティラーを思い切り押して、何とか衝突は回避されました。
 後で、竹脇さんが「あれは1メートルぐらいの差だった」と教えてくれました。私は全日本でティラーを握るのはこれが初めてでしたが、それは肝を冷やすような瞬間で、緊張の連続でした。

 マーク周辺での艇との交差が落ち着いたところで、メントリの竹脇さんがシートをカムにかけ、前方に移動してブームを手で押さえに入りました。そして、メイン・ジブを観音にして下マークに向けて快走して行きます。
 ジャイブしながら下マークを回ってクローズ。艇が安定したところで私は再度デッキの上に上がり、エクステンションを伸ばしてヘルムを取りました。 しばらく進んだところで日高さんより「マーク9時半、後3艇身でタック」との声がかかり、ポートタックからスタボードタックへ艇を返しました。日高さんから「ナイス・タックだ」と声が上がり、思わず笑みがこぼれました。 そのようにして、我がティーム・アールグレーは予選第1レースをトップフィニッシュしました。皆が握手をして喜び合いました。第1レースをトップで終えたことで、とりあえず一安心。

 その後Bブロックの第2レースが行われ、一緒に乗り合わせた浜名湖から参戦のティーム・ウナギは、第1・第2レース共に4位で予選レースを終えたようでした。その間、私達はキャビンの中で休憩。足を伸ばして横に3人並んでくつろいでいました。上でデッキを行き交うバタンバタンという音がしていました。
 そして、コンパニオンウェーからお呼びがかかり、Aブロックの第2レースが始まりました。風は第1レースのときと同じ南2?3メートル。海面は穏やかで、学連のディンギーからの若い声が、遠くから湘南の海に響いていました。

 午後3時過ぎ、第2レース・スタート。
 ライン前の攻防では風上側から1艇入って来ようとしていました。下側にも艇があり、指示を飛ばす声が聞こえていました。日高さんが上側の艇に対して「入れないよ、入れないよ!」としきりに大声を出していました。
 間もなくスタートのホーンが本部艇から鳴り響き、艇はラインを超え、私たちはスタート2・3番手。その後スターボードからポートにタックを返し、上マークに向かって行きます。もう直ぐマークアプローチというところで、日高さんから「前に2艇います」と声がかかり、それを合図に「タック」。
 先行する艇のスタンを横切り、再度タックしてポート。そのままマークにアプローチして、タックしながら回航、そのままベア。この時、私がばたばたしてしまって、やや大回りになってしまいましたが、それでも、前にいた1艇は下側後方1?半艇身。橋本・新井率いるラッキーウォーターを下側に置いて、風下マークに向けて併走して行きます。新井さんが、「嫌なやつらとだなあ? 負けないぞ!」と、こっちに向かって大声で牽制してきました。
 その後、1下をジャイブしながら回航してクローズ。ラッキーウォーターに中に入られて先行される。そして、そのまま2上目に向かい、回航。このときも、私がばたばたした分、ラッキーウォーターに先行することが出来ず、またしても併走。風下側から新井さんが、「またおまえたちか?嫌なやつらだなあ!負けないぞ!」。 私もそれに対して応答して、「新井さん、負けないよ!」。
 日高さんが、私に少し落として艇を左に動かしてと指示。ラッキーウォーターに艇を寄せて行き、ラッキーウォーターをブランケに。今度は日高さんがグーンと上らせて、艇がクウォーターとアビームの中間付近まで上ったところで、再度日高さんより「グーンと落として」との指示。
 間もなく、フィニッシュラインを通過。本部艇からプーとホーンが鳴り、直ぐに続けてもう一度プーと鳴りました。下側の本部艇寄りで、新井さんたちが歓声を上げて拍手をする音が響きました。新井さんが本部艇にどっちが先か確認している様子。 すると、本部艇からあっちが先という声が聞こえて、私たちはやったとばかり手を叩きました。50センチの鼻差で、アールグレーが先んじたようです。
 艇を本部艇に寄せて行くと、「最後の50メートルで一気に延びたねえ!」と。 これで、私たちは予選突破。お互いの健闘を讃え合い握手を交わしました。日高さんの手は、大きく、肉厚があり、包み込まれるような感じでした。

 日高さんは、艇をハーバーに向けて機走しているとき、ラッキーウォーターとの最終レグでの攻防について、次のように解説してくれました。
私たちが下艇に寄せて行ったとき、下艇は「ラフするよ!」と宣言して上らせて行かなければならない。すると、上艇は上らせて行かなければならなく、場合によっては、アビームぐらいになってしまう。あのような時、自分が下側にいて、上艇がそのように寄せて仕掛けてきたら、直ぐに上らせて行く。そのつもりで、相手が仕掛けてくるのを待ちかまえている。これがレースの駆け引きの定石のようでした。
 ティームメンバー個々の力量はもちろんあってのことですが、スキッパーのタクティクスが光った一日でした。

 という訳で、Aブロックの決勝進出ティームは、アールグレーに続いて、2位ラッキーウォーター、3位湘南爽風(ブリーズ)となりました。
 秋山・川添の湘南爽風は、予選第1レース4着、第2レース3着と、辛くも勝ち残ったようです。それに対して、浜名湖の齋木率いるビッグマウスは、第1レース3着、第2レース4着ということで、惜しくも予選突破成りませんでした。
 一方、Bブロックの予選結果は、前評判で今大会の優勝候補と注目されているティーム・ジェントルフォーが着順1・1と成績をあげ、ブロック1位で予選突破。ジェントルフォーのメンバーは、サイテッドスキッパーに大木。この大木さんは、竹内さん(今回はレース委員長)とカラスやスピーディーブルーで長年タッグを組んで、ブイ周りから外洋レースまでその名を轟かしてきたつわものです。それにメントリ・白子(ブラインド)、ヘルムス・瀬川(ブラインド)のベテランコンビ。(白子さんは、視野は狭いがマークを見つけるのが一番早い。瀬川さんは、白子さんほどではないものの、セールのテルテールが見える)。加えて、J24でのレース経験を持つジブトリ・真下(サイテッド)。このティームは、実質的にはサイテッドティームと呼ばれ、ティーム名もジェントルではなく、デンジャラスだろうと周りから言われていました。
 続いて、浜名湖の戸口サイテッドスキッパー(マイアミ・ブラインドワールドでのブロンズメダリスト)を中心とするティーム・カムカムが、2・2と成績をあげ、ティーム・東京ヤングメンが、3・3と勝ち残りました。
 東京ヤングメンは、スピーディーブルーその他で、外洋・ブイ周りのレースで多くの経験を持つ、堀江スキッパー(サイテッド)と竹下ジブトリ(サイテッド)のコンビに、東京ブラインドの熱血ヘルムス・岩本(ブラインド)と、今やJBSAのエンターテーナーながら筋肉割れ割れの肉体美を誇るメントリ・田口(ブラインド)のティームです。ここもやはり前評判が高く、優勝・準優勝を争うティームと言われていました。ですが、予選レースでは不振で、スタートが良くなかったのか、2レース共にレース前半は5番手を走っていました。それでも2艇を追い抜いて3・3と成績をまとめ上げてきたのは流石で、そういう底力のあるティームです。
 それらの実力者が順当に勝ち上がって、決勝ゴールドフリートに進出です。この決勝戦は熾烈な戦いになることが、誰にでも容易に予想出来る顔合わせとなりました。

 予選レース後の懇親パーティーでは、プロのジャズメンたちのヴォーカルとベースピアノの調べに、ムードたっぷりの時間が過ぎました。合間に竹内レース委員長より予選レースの結果発表と表彰があり、盛り上がりました。そして、明日のレースに心を燃やしながらも、まったりと一日が終わりました。

 2005年9月18日(日曜日)
 《決勝戦》(ゴールドフリート)
 チーム・アールグレー 成績
 第1レース 1着
 第2レース 1着
 第3レース 1着
 第4レース 2着 → 審問により、失格
決勝戦は、全4レースで争われました。4レース消化したので、あまり良く覚えていません。断片的に印象に残ったところだけを記述します。

 天候:快晴
 南風:2?5メートル
 波高:0メートル
 ソーセージコース:2周
 
 この日は、葉山の森戸海岸沖で女子のインカレが行われており、レース海面はディンギーで混み合っていました。そのため、ハーバーを出てからしばらくレース海面探しをしていました。途中、日高さんの法政大のヨット部の学生がスナイプで練習しているのに会いました。日高さんは現在も母校の法政大のヨット部のコーチをしています。日高さんは学生を見つけると声をかけていました。「ノリはシングルの癖が着いているから、ラダーで操作しようとするけど、体重移動に気をつけるともっと良い結果が出せるよ!」なんてアドバイスをしていました。
 そのようにして本部艇に続いて艇を走らせて行くと、逗子の湾口に入ったところの海面に着きました。すると日高さんが、「これはニッポンカップの海面だぞ!」と言いました。 そうです、私たちの決勝戦は、正に世界の一流セーラーたちが集うニッポンカップと同じ海面で、同じ艇を使って、これからレースをするのです。これは、なによりの興奮ものです。本部艇から竹内さんが「アンカーを下ろして!」と指示しているのが聞こえてきました。そして、アウターと上マークが打たれ、いよいよ決勝ゴールドフリートのレース開始です。

●第1レース

 日高さんは、昨日と同様に先ず日高さん自身がティラーを握って、ヘルムの感触と風を感じていました。そうしながらセールのセットアップをしました。ハリヤードにテーピングして、風に合わせてシートの張り具合を調整して目印としました。そして、ヘルムを私に代わり、ライン上で艇を風位に立ててマークの位置を確認しました。ほぼイーブン。本部艇側からの上スタートと決まりました。
 そして、5分前のホーンが鳴りスタート前の攻防が始まりました。ライン上を本部艇とアウターとの間を行き来しました。4分前のホーンが響き、1分前のプーが鳴り、ジブトリの村上さんがカウントダウンの秒読みをしていました。ライン上で、本部艇側からアウターに向けて走っていたとき、日高さんが突然「風が変わったぞ!アウター有利!」と叫びました。私たちはそのまま艇をアウターに寄せ、スタート。そのとき、やはりアウター側でスタートを切った堀江スキッパーの東京ヤングメンが鼻を切り、良いスタートでトップに立ちました。私たちは2番手。
 艇はクローズホールドで風を掴み、良い走りをしていました。いよいよ第1上マークアプローチ。そのときです、日高さんが私に「大きく押して!ぶつかるから!」と叫び、私は艇を上らせました。すると、艇のポート側のスタン付近で「ごつん」という大きな音がしました。前にいた東京ヤング面がタックをして、そのスタンが私たちの艇に当たったのです。
 日高さんが「プロテスト!」と大声で相手に合図して、旗を揚げました。東京ヤングメンは720度回転。それを確認して、日高さんが旗を下ろしました。
 その間に私たちは、マーク回航してダウンウインドレグに入っていました。メインとジブを観音にして、ランニング。竹脇さんがブームを押さえに入りました。
 これは後で聞いた話なのですが、私たちと東京ヤングメンがぶつかったとき、スキッパーの堀江さんはスタートが良く後方に大きく離していたので、直ぐ後に艇が来ていると思っても見なかった、とのことでした。
 こうして、私たちはトップに立ち、このレースはそのままフィニッシュ。スタートの際、風が変わったことを察知したときの日高さんは、日高さん自身、体で風を感じているようでした。

●第2レース

 スタート前、風位に艇を立ててマークの位置を測ると、風はアウター側のポートスタート有利となっていました。マークを打ち変えるかと思ったのですが、そのままスタートのようでした。実はこのときマークボートに不具合が発生していて、マークを打ち変えることが出来なかったそうです。以後、第3・第4レースともに、アウター側からのポートスタートとなりました。
 私は、アウター側・ポートスタートと聞いて、頭に嫌な予感が過ぎりました。昨年の秋にSYC(シーボニア・ヨット・クラブ)の小型ヨット部会主催のキールディンギー・エスクワイヤーのマッチレースのとき、アウター側からポートスタートになって、スタート前の攻防が大変だったのを思い出したのです。ですが、この第2レースも、アールグレーが1着を取りました。スタートそのものは2番手、3番手だったのですが、マーク回航で他の艇を抜き、アールグレーは徐々に順位を上げてトップフィニッシュしました。
 そうそう、スタートの時ですが、若い声が大きく海に響いていました。それが誰の声か聞いたことがない声だったので、誰の声か考えるほどでした。どうもジェントルフォーの大木さんの声のようなのですが、大木さんの声にしては若く聞こえ、浜名湖の戸口さんの声かな?とも思ったのですが、やはり大木さんの様。海は、そしてヨットは男を若返らせる魅力を持っているようです。

 ゴールして、次のレースが始まるまでの間、日高さんがティラーを持っていました。その間に私は神経を休め、くつろぐことが出来ました。
 日差しは、真夏の頭の上から降り注ぐような力強い光線でなく、秋のやや傾いた太陽が放つどこか乾いた光線で、それでも肌をじりじり焼いていました。海面では、あちらこちらから喚声やボートが走る音が遠くから響いていました。
 日高さんが長期戦だからリラックスして、とみんなに声をかけ、日高さん持参の魔法の水が入ったスプレーを頭や首にかけてくれました。水そのものは特に冷たいという訳ではないのですが、水滴が当たるとちくちく刺激感がありました。すると肌の表面温度が下がり気持ちがさっぱり。私たちはレースが終わるごとに、これでリフレッシュしていました。

●第3レース

 1分前の信号が鳴り、ライン取りの攻防をしていたときです。ジャイブを打ちスターボードのクローズの上りに入ったとき、私の右前方で東京ヤングメンの岩本さんとジェントルフォーの大木さんの怒号が聞こえ、バシーンという大きな音がしました。日高さんが「落として!」と大きな声で叫んだかと思うと、日高さんが私の手元のティラーを握って、一杯一杯のところにまで引いていました。そのまま進んだら3艇が絡むところでした・・・・。
 このときジェントルフォーの大木さんは、アールグレーのことしか目に入っていなくて、東京ヤングメンがいたことに気がつかなかったようです。アールグレーがそこでジャイブを打ったのをどの艇も見ていて、そのせいで全体が乱れたとのことでした。
 そして間もなく、私たちはタックを返してラインを越えました。スタート3番手。上マークまで後150メートルとなったとき、日高さんが「前に2艇います、2艇が最後の上らせ争いをしている間に、私たちは漁夫の利を得て行きます」と解説しました。そして、日高さんは私に「落として!」と指示。ややコース変更した後、再度クローズ一杯まで上らせました。ジブトリの村上さんが、「マークまで後5艇身」。私は日高さんと、タックしながらそのままベアして回航、と次の動作の確認をしました。
 マーク半艇身。直後にタックの声がかかり、そのまま回航。ベアして真ランになったところで、日高さんが後を見て「ゴッツァンです」、とニコニコしながら言いました。
 後方では、湘南爽風(ブリーズ)の秋山さんが大声で「こっちが先だろう!」と他の艇と言い争っているのが聞こえていました。すると、またもやバシーンという大きな音が響いて来ました。案の定、マーク回航の水取合戦になって、衝突したようです。
 私たちは、その様子を跡目にしながら進み、下マーク回航。2上目に入ると、風がそれまでより上がってきたようで、艇がヒールしました。これまでは、私以外のクルーが艇をヒールさせるべく、風下側のデッキに着座していたのですが、今度は艇を起こすべく全員風上側デッキに横一列に座りました。日高さんもデッキの前の方に座って、艇を起こしに入りました。
 そのようにして、アールグレーは2上目を回航して今度も1着でゴール・ラインを通過しました。

●第4レース

 スタート前、ジェントルフォーとすれ違ったとき、大木さんが私たちに「一度ぐらい他にも勝たせてよ」と、こっちに向かって言いました。風は第3レース後半から上がってきて、5メートルぐらいになっていました。そのためハリヤードを引き、調節し直しました。日高さんが「村上さん、1回目下は最初のテーピングしたところまで、2回目の下のときはさらにその下のところまでハリヤードを緩めて。1回目下で下まで下ろすと、また上まで上げるのが大変だろうから1回目下はそこまで。2回目下のときはそれで終わりだから下まで下げて!」と指示していました。

 そして、5分前のホーンが鳴りライン取りが始まりました。4分前、1分前、刻々とスタート時間が近づいてきます。思ったより艇速が出ていたようで、途中シバーを入れ時間調整しました。それでも、艇速がありラインを超えてしまっていました。アウター寄りの下に、ジェントルフォーがどっちに行くのかはっきりしない様子で出ていました。日高さんはそこで、こっちの艇の艇速があるのでそのまま前を切って行けると見込んだのですが、私が上らせ過ぎて艇速が落ちてしまったりで、思ったように走ることが出来ず、「おまえタックだろう!」と言って、ジェントルフォーの前を横切ったのです。それでも、アールグレーは既にリコールとなっていたので、アウターを回ってスタートラインを切り直しました。
 一方、アウター寄りの混乱を避け、上側からスタートしたラッキーウォーターが、トップでラインを超えて行きました。アールグレーはクローズホールドになって、村上さんが竹脇さんを手伝ってメインを引き増ししました。クルーが横一列にデッキの縁に座って艇を起こしました。タックを繰り返して、再びポートのクローズホールドになったところで、マークまで後150メートル程度。日高さんが、「前に4艇います、今度も漁夫の利を得て行きます」と言いました。そして間もなく、「少し落として!」と、前のレース同様に指示が入りコース変更。マークまで後5艇身。タックしてそのままベアという回航動作の確認。「タックは大きくね」。村上さんがマークまでの距離をカウントダウンし始め「バウ・オーバーラップ!」と、緊張が増す瞬間です。何回やってもスタートとマーク回航の瞬間は緊張が増します。
 間もなく「タック」の声がかかり、私はティラーを押しました。体を反対側のデッキに入れ替えると、ハルが海面を切る音をザバザバと立てて、バウが回りました。上側・下側にも艇がいるようで、波の音と人がざわめく声が聞こえていました。続いて「ベア!」と号令がかかり、竹脇さんがメインを切ってセールが出て行きました。艇はバウをさらにダウンさせて行き、風が私の右肩から左肩へと回りました。私はそこで一端ティラーを元に戻してから再度少し引いて、風が左腕の肘から入ってくるぐらいのところまで持って行きました。
 前に2艇、後方に1艇、横1艇。今度も後の艇にゴッツァンです。ダントツトップは、橋本・新井組のラッキーウォーター。続いて、秋山・川添の湘南爽風(ブリーズ)。アールグレーはその後も足が良く、横の1艇を徐々に引き離して行きました。そして、1回目の下マーク回航。クローズになって前にいるのは、秋山艇。橋本艇は回航してクローズに上るとき、メントリ福尾(ブラインド・新人)がシートをからませてしまったようで、メインにトラブルが発生・・・。私自身2003年のスプリングレガッタのとき、同様の失敗をしたことがあります・・・。そのため、ラッキーウォーターは停滞し、順位を落としてしまいました。ラッキーウォーターは、このトラブルがなければ、このレースをダントツの1着でフィニッシュ。総合成績も6・6・2・1と、後半の追い込みでメダルへの可能性もあったはずでした。
 アールグレーは、湘南爽風(ブリーズ)を追って進み、徐々に差を詰めて行きましたが先行するまでにはいたらず、そのまま2上を回航。フリーになって湘南爽風(ブリーズ)との差、1艇身。秋山艇がアールグレーの進行をブロックしながら走る。日高さんが「プロパーコースを走れよ!」と叫ぶ。上に秋山艇、下にアールグレー。アールグレーは、フィニッシュラインまで5艇身くらいのところで秋山艇とオーバーラップしましたが、それ以上差を詰めることができません。そのとき日高さんが、「ここで、ブームをパンパンと2回ジャイブで返すと、プロパー関係が一端切れるから、そこで相手が寄ってきたところでラフしながら上って行けば良いのだけど、そこまでするのも嫌らしいからこのまま行きます」、と解説しました。それから、ジブを観音にしたまま、
 村井:村上さん風来ていますか?
 村上:入っているよ!
 しばらくおいて、
 村上:上して!ジャイブしちゃうよ!
 村井:はーい、了解。
なんてやりとりをしながら走らせ、湘南爽風(ブリーズ)を刺して行こうとしましたが、そのままゴールイン。
 湘南爽風(ブリーズ)が本部艇からのチェックのプーを受け、1着。アールグレーは2着でチェックを受けました。

 決勝戦は、アールグレーの勝利です。日高さん、竹脇さん、村上さん、それに私の4人が握手を交わし、優勝を喜び合いました。日高さんの握手は、私の男としては貧弱な手が日高さんの厚くて大きな手のひらに包まれ、そして、筋肉の締まる力の強さの中に日高さんの人柄の優しさを感じさせる、そういう握手でした。
 私は日高さんとレースで一緒に乗ったのは、これが初めてだったのですが、日高さんはブラインドの私以上に、体全体で風を感じているようでした。一瞬の風の振れを、体で素早くキャッチして反応する。一流のセーラーは体で風を素早く感じ、その振れを感じながら艇をより早く走らせる。そういう、風と一体になった日高さんの姿をまじまじと見て感動させられた2日間でした。
 日高さんにティラーを代わり、艇を本部艇に寄せて行きました。そのとき日高さんがバックステーを確認すると、「バックステーが引いたままになっていたよ!」と、ニコニコしながら言いました。私たちはそれにほほえみ返していました。最終レグで、秋山艇をズバッと刺していたかも知れません。しかし、これも勝負の一つです。

 ハーバーに上がって、秋山さんに会うと、「湘南爽風(ブリーズ)が最後にアールグレーの4連続1着を阻んで、一矢報いることができた」、と微笑していました。

 さて、この第4レースが終わった段階での決勝ゴールドフリートの順位は、
 1位 アールグレー 1・1・1・2 =5ポイント
 2位 湘南爽風(ブリーズ) 5・4・3・1 =13ポイント
 3位 ジェントルフォー 3・2・5・3 =13ポイント
となっていました。ですが、勝負はまだ終わっていません。陸での対決が残っていました。
 プロテストが3本出されていました。うち2本はジェントルフォーからアールグレーに対してのもので、何れも、最終の第4レースにおけるケースでした。1つは、スタート時のアウター付近での出来事。ジェントルフォーは進路をふさがれ、アウターマークに接触した。もう1つは、上マーク回航でジェントルフォーの進路をふさいだ、という内容でした。
 審問の結果、アールグレーは第4レースがDSQとなり、ジェントルフォーは第4レースの結果が3位から2位に上がり、得点12ポイントで湘南爽風(ブリーズ)の13ポイントを上回りました。その結果、最終的に以下のような総合成績となったのです。
 1位 アールグレー =10ポイント
 2位 ジェントルフォー =12ポイント
 3位 湘南爽風(ブリーズ) =13ポイント

 1つの抗議が順位を入れ替えた良い例となりました。海でのレースは終わっても、勝負はまだ続いている。陸に上がってからでも、逆転のチャンスがあるという典型的な例になりました。
 アールグレーはそのように審問を受け、最終レースを失格としてしまいましたが、本大会の優勝ティームとして表彰をされることになりました。

 表彰式では、この度大変お世話になったNSTの小田切会長よりメンバー一人一人にJSAFからの表彰状が授与されました。

 本大会は、JBSAがめでたくJSAFに団体加盟をして、初めての公認レースとなりました。この記念すべき大会が成功に終わり、喜び一入です。しかし、会にとっても個々のメンバーにとっても、多くの反省点をいろいろな面で残す大会ともなりました。より一層安全にセーリングを楽しむためにも、個々の技術はもちろん全体としてのレベルアップを図って行かなければならないと痛感させられました。
 
 最後に、大会を支えてくださった選手並びにスタッフの皆様、お手伝いをいただいた多くの皆様、また、マリーナを始めNSTの皆様、普段より私たちの活動にご協力ご支援をいただいている全ての方々に、改めて心より感謝申し上げます。
 来年は、アメリカ・ニューポートでブラインドワールドが開かれます。そしてまた、JBSAが発足して10周年を迎えます。私たちにとって、その大きな一つの区切りとなる年に行われるワールドで、その歴史にふさわしい結果が残せるよう、努力を積んでまいりたいと思います。どうぞこれからも、皆様の変わらぬご厚情を賜れれば幸いです。よろしくお願い申し上げます。

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