第6回全日本選手権2005 実行委員会レポート 秋山淳

文 秋山淳

2005年9月17日、18日の2日間にわたって「第6回全日本ブラインドセーリング選手権大会2005」が、神奈川県葉山町、葉山マリーナにおいて開催されました。
本大会は、NPO・ニッポンセイルトレーニング葉山(NST)の協力により、ヤマハ30S(30フィート)6艇を使用し、全国から過去最高の10チームが参加して行われました。

このヤマハ30Sは、毎年秋に葉山沖で行われているマッチレース「ニッポンカップ」の使用艇であり、ピーター・ギルモアやエド・ベアードなど世界のトップレーサー達が熾烈な戦いを繰り広げる先鋭的なレーシングボートです。
今回ブラインドセーラー達が、彼等と全く同一のボート、しかも同一の海面でレースを展開できたことは、これも一つのエポックメーキングなことだと思います。また、葉山は日本のヨット発祥の地と言われています。この地で初めてブラインドセーリングの大会が開催できたことは、これもまた歴史的に大変意義深いことであったと感じています。

大会に向けてJBSAは、日本セーリング連盟(JSAF)の「特別加盟団体」として正式に加盟承認されました。さらに今大会は、ナショナルオーソリティであるJSAFの公認を得て、対外的にもオフィシャルレースとして位置づけられました。

今大会は、レース使用艇6艇に対し10チームのエントリーがあったことから、大会初日はA・Bブロック各5チームに分かれて予選レースを行い、各ブロックの上位3チーム計6チームが2日目の決勝ゴールドフリートに進み、残る4チームも順位決定シルバーフリートでそれを決するというプログラムがレース委員会により組まれました。

葉山マリーナ三階からの風景写真

9月17日初日、予選第1レース目は、北東の微風の中スタートしたものの、しばらくしてレース海面全域が無風状態となったためノーレース。しばし風待ちの後、南西から1?2メートル毎秒の風が入ってきたのを機に、第2、第3レースと続き、何とか予定のA・Bブロック各2レースを行うことができました。

翌18日大会2日目、いよいよ決勝ゴールドフリートに進出した6チームが全日本の覇権をかけて戦います。この日も南西の風2?4メートル毎秒の軽風でしたが、1レース目から白熱した戦いが繰り広げられました。各チームとも気合の入り過ぎでしょうか、そこここでケースが発生し、B旗が揚がっています。そのような中、予選から安定した走りを見せていた「アールグレイ」(村井、竹脇、日高、村上)チームが、この日も他を寄せ付けない圧倒的な強さを示し、予定の4レースを終了したところで完全に優勝を決定づけました。他のチームは混戦模様で、抗議によるジャッジの判決次第で順位が決まるという接戦となりました。
続いてシルバーフリート4チームによる順位決定2レースが行われ、こちらも接戦の末「ドルフィン」(金輪、篠原、石田、マイランケ)チームが、このフリートを制しました。

こうして大会史上最多の10チームによる熱烈なレースは終了しましたが、今回残念ながら艇の接触によるアクシデントがいくつか起きました。私たちはこの事実を謙虚に受け止め、次へ向けての課題として行きたいと思います。

一方、初日のレース終了後午後6時から懇親パーティーが催されました。会場には選手、スタッフ、支援者など約100名の人たちが集い、親交を深めました。このパーティーには、JBSA東京の坂本賢司さんが懇意にしているジャズプレーヤーの方々もボランティアで参加してくださり、会場の手拍子と一体となって一気にライブハウスとなりました。また、JBSAでの出会いがご縁でこの秋に結婚が決まった町田康一さんと吉田倫子さんのお二人に、祝福の歌と拍手が贈られ、心温まる忘れられない夜となりました。

また、今回レースの観戦にも多くの方々に来ていただきました。ブラインドの方々が音訳テープで日頃お世話になっている、音訳の会「はやまやまばと」の皆さんをはじめ、ブラインドセーリングに関心を持たれた方々、名古屋からわざわざ一人で来られた熱意あるブラインドの方、さらに当然ながら、選手、スタッフの家族、友人の方々、皆さん一様に観覧艇から大きな声援を送ってくださいました。これだけ多くの人たちにブラインドセーリグを理解していただけたことは大変うれしいことであり、この大会も意味深いものになったことと思います。観覧艇を出していただいたオーナーの方々、操船してくださった皆さんに感謝いたします。

最後になりましたが、この大会に協賛、協力してくださった皆様に心より感謝申し上げます。また、大会の運営に携わっていただいた、レース委員会、プロテスト委員会、陸上本部の皆さん、ありがとうございました。そして選手の皆さん、お疲れ様でした。